金兵衛のブログ

大分のこと色々綴っていきます

第11夜 宗麟の望みはお鶴の婿養子を!

国東田原氏に大友家の血を入れてぇと宗麟の願げえ

おっす!おらあ金兵衛。前夜は、大友宗麟が田原親宏に旧領地(国東・安岐郷)をけえす(返す)つうことだったけんど、この話には交換条件っつうもんがあったんだな。

田原親宏は、娘が2人いたんだけんど、息子はいなかったんだな。しかも長女は筑前秋月の雄、秋月種実の正室として嫁していたんで、二女のお鶴に婿養子をもらって田原家を嗣がせていたんだな。でもよう、大友宗麟は田原家の血がへえってねえ(入ってない)婿養子はダメだ!自分の二男大友親家をお鶴の婿養子にしろ!これが旧領地をけえす交換条件っつうわけだったんだよな。f:id:kinbee:20180417222303j:plain

画像:信長の野望より引用、お鶴イメージ画

お鶴のおやっさん田原親宏も、これには頭をなやませちまったんだよな。すでに、お鶴には婿養子をもらっているし、親方の宗麟からは二男を婿養子にしろって条件つけられちまったら、こりゃあ、困るぞ。

お鶴と婿養子の田原親貫のわけえ(若い)夫婦は、仲よく暮らしているんだぞ。

田原親宏は頭をかかえこんだにちげえねえ。それと言うのも田原家の家臣の中にも、大友家との縁組に賛意を唱える者が出て、家中は賛否の議論に沸くありさまであった。この課題は、へたをすると重大な事態を招きかねねえ。

男の子に恵まれなかった田原親宏は、豊前馬ヶ嶽城主長野種信の子親貫を婿養子にしているのである。しかも、親貫は日向遠征にも従軍しており、宗麟も知っているはずだから、親貫を離縁してでも自分の子を迎えよという無体な要求である。宗麟としては、反大友色の濃い豊前との縁組を、田原家がしたことを好ましく思っていなかったので、この機会に改善したかったのだ。

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画像:信長の野望より引用

婿養子の田原親貫(たわら・ちかつら)は、まだ十代の若者だったという。

ところが、事態は急変する!

田原親宏のおやっさんが、この課題を背負ったまま、この年(天正七年)9月16日に急死しちまったんだ。背中にできた悪性腫瘍が命取りとなったらしい。

田原親宏の急死を喜んだのは、豊前妙見岳城に引きこもっている田原紹忍(たわら・じょうにん)であった。目の上のタンコブの田原親宏が除かれたのである。大友宗麟もあるいは、その知らせを聞いて内心喜んだかもしれない。

大友家を脅かす一つのガンが取れちまった。あとは若造の田原親貫(たわら・ちかつら)を料理すればよいだけだからだ。

ところが田原親宏(たわら・ちかひろ)の死で田原家の家督を継いだ親貫は、継承3か月も経たない12月に突如大友本家への反旗をひるがえし、府内攻撃の挙に出ちまったんだな。

この3か月足らずの間に、田原親貫に挙兵の決意をさせたのは何んだったんだろうか。

まず考えられることは、大友宗麟妙見岳城の田原紹忍と連絡をとって、田原本家の家臣の中の、大友に心を寄せる者、あるいは田原紹忍(たわら・じょうにん)に恩顧のある者を手なずけ、内部から結束を切り崩し、田原親貫を追放する画策が忍び寄っていることを知ったのではなかろうか!

次回若き武将、田原親貫の反乱!次もぜってい見てくれよな!